02.かぞくのコト


自分にとって一番身近な存在である家族。あなたは家族を愛していますか?

 「大好きです!」と答えると、円満な家庭が想像されます。

「わからない」「愛していません」と答えると、なんだか冷たい人と思われそうです。 

血のつながりや一緒に過ごす時間の長さから、つい期待してしまう以心伝心。「わかって当然」と、勝手にハードルが上がってしまい、気持ちが伝わらないと「なぜわからないの?」と余計に腹が立ってしまう。 自分と異なる存在の気持ちがわかるってそんなに簡単なことなのでしょうか。



親と子の意見の相違はいつの時代もあることです。親は「自分の言う事を聞いていれば大丈夫」と、いつまでも幼き子のように接する。一方で子は「自分を認めてほしい」と親の承認を欲する。 



これらはともに相手に対する要求です。それも「親子」という最も濃い血縁相手に対するもの。それゆえに相手への要求も高まり、逆に相手の思いの強さも感じとるのでしょう。 子が小さい頃はほほえましいものかもしれません。

しかし子の成長とともに気持ちに変化が見られます。親の期待の高まりに反し、その理想像と現実とのギャップに焦りや無力感を感じる子。理想と異なる子を見て、理想をかなえてあげられなかったと落胆する親。 ともに相手に対する愛情が根底にあるにもかかわらず、どうして伝わらないのでしょうか。 


『自分は自分のものさしを使いたがる』

ヒトは、自分と共通するものが多いほど、親近感が湧いてくるもの。ましてや相手が家族となると、聞かずとも自分の思いと同じはずという思い込み。これにより起こる意見の喰い違い。 どうしてなのでしょうか。知らず知らずのうちに『自分中心に相手をみている』、そのことに気が付いていないのです。 

『学ぶこと』

愛する我が子が道を踏み外さないようにと、あの手この手で人生設計を施します。しかしそれは親の経験による判断であり、子供の個性や自由を縛り付けているようなもの。幼いうちは家庭や学校で集団生活や社会のルールを学ぶ必要がありますが、その先を進むのは自分自身です。

大事なのは授業で数式の羅列や年号などを頭に詰め込ませる前に、「学ぶこと」の意味をしっかり教えること。そうしなければ「自分」というものを育ててゆく力が希薄になってしまうのではないでしょうか。自分や他者を知り、生きるための学問を習得する。そこから自分を探究できる人間性を育ててあげて欲しいと思うのでした。