01. 宗教ビジネスを考えてみた


「宗教」ってなんでこんなに毛嫌いされ、危険視されているのでしょうか? 

ここでわたしだったら、こんな宗教はまっぴらごめんだ!!というものを考えてみました。



こんなの私なら苦痛だな…


・人の弱みにつけ込み「安心」を何かしらで金銭に変えてゆく

・高額な寄付やお布施が徳を積むとされ、信者価値観と生活が崩壊してしまう

・〇〇の存在を崇め、従順に従うことを教えとし、個人の自由意志を尊重しない

・不安や恐怖心を煽り、洗脳、マインドコントロールを行おうとする

・親が信者で子供の気持ちを聞かず、強制的に加入させてしまう

・一般社会に沿わない規律をつくり、信者を孤立化させてしまう

・何でもかんでも倫理道徳ばかりを重んじて、欲を捨てることを美徳とする

・「幸福」の概念が現実社会からの逃避になっていることが多い気がする

・「幸福」の概念が現実社会での成功ばかりのご利益信仰なことも多い気がする

・死後のことはさほど重要視してないのに、墓や法事はしっかり行う不思議 等々…


ざっと思いつくだけでもこれくらいありました。



苦手な理由その1 だいたいお金が絡んでくる


私自身が苦手とする宗教をよくよく考えると、最終的にお金がポイントになって来る。社会から孤立すれば尚更その危険度も増してくるように思います。何かをお願いするなら、その料金が発生するのは宗教でなくても当たり前のことですが、心が弱っている人の不安を煽って、高額な料金を請求するやり口は残念ながら後を絶たないようです。


ただここでしっかり考えないといけないのは、宗教はボランティアではないということ。施設の運営資金や、スタッフの生活もあるわけで、お金を出さなくても大丈夫なんて言ってるのは、相当な大金持ちか、後々何かを企んでいる気さえしてきます。


ですから、明確な料金を提示していること、退会が自由であること、会員であるための更新は本人の要請が無ければ自動的に退会したりと、あくまでの本人の意思を重視した内容であってほしいと思います。



苦手な理由その2 自分が消えてしまうような気がする


「教え」は倫理や道徳として、社会で役に立てば学んで良かったと思えるかもしれない。しかし、あれはダメ、これもダメと、自分のやりたいことや価値を否定されるものになれば、それは人生を拘束されたようなもの。


言われた通りの事を行えば幸せになれると言われても、人には個性があります。個人の自由意志を尊重した上での学びでなくては、生きてゆくことすらままならない。宗教を通すことで「自分」をより知ることが出来るものであってほしいと思います。



どの団体を選ぶかは自分の責任


悪質な団体や、その団体が自分には合わないと感じれば、すぐに脱退すればいいのです。結局は自分次第の自己責任です。ただ、人は苦しい時にほど宗教を拠り所とするケースが多いだけに、その判断も時に出来なくなることもあるでしょう。


だからこそ、心が元気で客観的な見方が出来る時にこそ「宗教とは?」という事に触れて欲しいと願わずにはいられない。安易に他者からの救いを金銭などで求めないで欲しいのです。苦しい時にこそ冷静になる努力が必要なのかもしれません。