05.『終活』


いまや常識の「終活」。あなたはどうしますか?


人生100年時代といわれるようになりました。アクティブな高齢者が多く、年齢とのギャップに驚かされます。第2、第3の人生に思いを巡らせるかたわら、自分の最期をどう迎えるか考える『終活』が一般的になってきました。文字入力でも一発変換されるほど浸透しているこの活動。


この世の締めくくり方に焦点をあて、生前整理や葬儀、お墓などについてセルフコーディネート。少子高齢化が加速度的に進む現代日本では目を逸らせない問題ですし、その根底には「立つ鳥跡を濁さず」の精神を感じます。



遅かれ早かれ誰にでも必ず訪れる「死」。ではその後は?


終活はこの世の締めくくりを考える。それなのに『死』のその後についてはみな我関せずの風潮の現代。しいて言うなら天国か地獄どちらへ行くかは気になるようで、今も昔も「天国と地獄」は世界中で同じようなイメージで語られるようです。


天使が微笑む平和で穏やかな幸せが満ちる天国、かたや身の毛もよだつような恐怖と底なしの苦痛が支配する地獄。子供のころ地獄の恐ろしさを耳にして誰もが一度は泣いたことがあるのではないでしょうか。




天国と地獄については、「生きている間の行いで死後どちらに入るか決まる」と、しつけを兼ねて教えられました。だから人にやさしく正しく生きよと。


しかしそれは社会生活の中で周囲との摩擦を減らす生き方なのではと感じました。他者と衝突なく平穏に生きるほうが生きやすいに決まっています。しかし真実はそれだけなのか?生きている間にするべき「行い」が他にあるのでは?と思うようになりました。



人はなぜ地獄を恐れるのか?


死後の世界は存在せず、『死』によってオールリセットされるのなら現世のことだけ考え生きればいいと思います。しかし万人が地獄に怖れを抱くのは、人間のどこかに死後の世界を知る部分があるからではないでしょうか。


死後の世界で過ごす時間は際限なく続くかもしれません。いわゆる天国に入れるのならば幸せです。しかし死後入った世界がもし地獄だったら?無限に続く時間、絶望的な苦しみに果たして耐えられるのでしょうか。死んでしまった後のことは、生きている今考えなくてもよいのでしょうか。



死後活、いつからはじめますか?


「死」の存在を初めて知った幼少期、『自分はなぜ生まれてきたんだろう?』答えが見つからず時が流れ、そんな疑問すら忘れてしまう。学校、仕事、家庭など目の前の現実を生きることで一日が終わります。昔抱いたこの疑問が再びふと心に浮かんできたとき、あなたはどうしますか?


死後の世界は『ある』か『ない』かの二者択一、物質科学では証明できません。ですからその判断とその世界に対する備えについては、各自の判断に委ねられ結果もそのまま自分に返ってきます。人生に対する影響力は終活どころの話ではありません。終活として現世の終わりに備えるのもよいですが、その後に続く人生、つまり死後活について自分で考え今から行動しませんか。


直感を受け止め、冷静に考え、自由に生きる。遥か長く続く人生は全て自分次第です。