06.じぶん自身のコト

「自分の事は自分が一番よく知っている」テレビや小説で見聞きするフレーズです。


またそれと同じくらい「自分のことがよく分からない」という言葉もよく耳にします。


生まれた時から片時も離れず一緒に過ごしてきた自分自身。分かって当然とも思える反面、分かっているのにも関わらず、自分でコントロールできないことも多い気がします。


私たちは、ほんとうに自分のことが分かっているのでしょうか。分かっているのであれば、自分にとっての欠点や弱点はすぐさま攻略して、なりたい理想の自分になれるように思えます。



たとえば、イライラしている自分が嫌であれば、おおらかな自分になれば良いし、だれかに意地悪する人を見て嫌な気持ちになるのであれば、誰にでもやさしい自分になれば良いだけです。


ただ現実は違うような気がします。自分の欠点、短所は理解できても、それをどう解決しようかと頭を抱えてしまう日々。



自分の心に向き合えば解決の糸口が見つかると思い、リラックスする時間を作ったり、人気の自己啓発セミナーに通ってみたり。一時的に気持ちは楽になるのだけれど、根本的な解決策にならないことがほとんどではないでしょうか。


「自分を変える」ということは、言うは易く行うは難しということなのでしょう。知っているようで知らないことだらけの自分を知ってしまった時、ほんとうの意味で自分を知ることからしか始まらない何かがあるように感じたのでした。



深い場所にある私たちの記憶


自分について考えるときに、ある特定の場面や事柄に関して、強い意識や感情が働いていた記憶がふいに蘇ることがあります。


なぜあの時あんなに激怒してしまったのか?

なぜあれほど胸が締め付けられる思いを抱いたのか?

自分では説明がつかないような気持ちになるのは何故なのか。

これがとても気になっていました。



いわゆる前世と言われる過去からの繋がりのことをレイコンガク的には「過去世」と呼んでいます。この過去世の意識の一部が、何かのキッカケで今の自分を刺激し表面の意識にまで強い衝動となって影響をあたえることがあるようです。


「自分を知る」とは、表面的な自分だけを見たところでは掴めないもののようです。



霊をさぐるのHP・Q&A14 「前世はありますか? 」の一部にはこう書いてありました


『たとえば、過去世で誰かに殺されたという人は、心理のずっと奥に、その時の強い恐怖が残っている事があります。そうした人が何かのきっかけでその心理が蘇ってくると、誰かに殴られそうになっただけでも、自分は殺されるのでは、と過剰に反応したりするため、普通ならば喧嘩で終わるような事でも、恐ろしい事件に発展させてしまう危険があるのです。



 誰もが過去世で恐ろしい体験をしているわけではありません。中には平凡な人生で終わった人もいらっしゃいます。


ただし、人というものは、平凡なように見えても、家族や仕事などで人知れず悩み苦しんでいる事があるものです。過去世のそうした心理が、今回の人生に影響を及ぼすという事は多く見られます。 前回の人生でこうだったから、今回も必ずこうなる、と決め付け得るようなことはまずありません。けれども、随所にその影響が現れるのです。』