03.仕事やお金のコト


仕事は日々の事です。そこに遣り甲斐や生き甲斐があれば◎です。でも現実には、不公平なことや理不尽なことも多く、大なり小なり何かしら我慢をしながら仕事をしているケースが多いのではないでしょうか。それでも「働かざるもの喰うべからず」と言われるように、食べていくには、お金を稼がねばなりません。



ここである男性会社員のお話をしたいと思います。


 彼は大学時代より、人の役に立ちたいと様々なボランティア活動に参加していました。就職してからも一生懸命に頑張りました。その努力の甲斐もあり社内では一目置かれる存在に。その後、結婚し子供も出来て充実した日々を過ごしていました。  



ある日の事、彼は疲労からか倒れてしまいました。病院ではストレスとだけ伝えられ、休めばすぐに回復すると思っていたのですが、体調は一向に回復せず、原因不明のまま寝込んでしまったのです。


しかし真面目な彼は、休んでばかりも居られないとなんとか踏ん張って出社したある日のことです。ふと上司と同僚のこんな会話を聞いてしまいました。



『あいつはもう駄目だよ、出しゃばって自分は出来るアピールをした罰が当たったのさ』 


『ボランティアとか偽善者っぽい感じしましたよね、宗教とかやってそーーーっ!!』 


と、笑いながら話していたのでした。



彼は耳を疑いました。それは同じチームの仲間だったからです。


それからというもの、彼は「仕事」「信頼関係」「人の役に立つこと」の意味が分からなくなってしまいました。


遣り甲斐を感じていた仕事にも意欲が湧かず、いっその事転職も考えましたが、家族のため、お金のために、聞かなかったふりをして、心と体に鞭打ちながら働き続けるのでした。 



『人は本心を隠して生きている』  


どんなに心が優しいと言われる人であっても、競争社会の中ではライバルを蹴落とさなくては上に上がれない時代です。ましてや立場が上に行くほど、妬み嫉みの対象になりがちです。


表向きはうまくやっているつもりでも、実は本心を隠しながら他者と接し、収入を得ていると言えるかもしれません。誰かが儲ければ、誰かが泣くのが資本主義社会です。  



『綺麗ごとだけじゃすまされない』


お金を稼ぐことは生きていくために必要不可欠です。「お金より心が大切」がモットーの人も食事が出来なくなればその言葉も忘れてしまうでしょう。綺麗ごとでは人は生きていけません。


どんなに熱く心や命の尊さを語っても、動植物の生命を奪っている事実、競争社会で生きていることを自覚しなくてはいけないのかもしれません。



『競争社会では念の飛ばしあい』  


霊魂学を学ぶ立場から言うと、人の思いは「想念」として他の人の元へ飛んで行きます。学校、会社、スポーツなど、競争を強いられる世界では常にその思いは強いように感じます。 


この飛んできた念は、肉体の目では見えませんし、どこかが傷付いて出血するわけでもありません。であれば大丈夫なのかというと、そうでもないのです。



『念による不調は病院ではわかりません』


 毎日相手の存在を感じられるような環境であれば、何度となく憎しみや攻撃的な念を送られ続ける可能性も高くなります。そうなるとゆくゆくは肉体にもその悪影響がケガや病気などで出てくることもあります。


今回の男性会社員の場合のように、病院に行っても悪いところが見当たらないと言った場合、それがストレスだけでは説明できない「霊的な障害」の可能性があることを知って頂きたいと思います。生きて行くには「お金」「肉体の健康」そして「霊的な健康」も必要不可欠な要素と言えるのです。